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生きているものは必ず死ぬ、是が大宇宙の法則である。、だが自然の美はあたかも永遠に続くかのようである。

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★生きているものは必ず死ぬ、是が大宇宙の法則である。だが自然の美はあたかも永遠に続くかのようである。
 
 
 3日ぐらい前に親しい友人を亡くしいささか気が滅入っているどんどん和尚である。

 今日は あちきの過去ブログ(奄美徒然草)の記事をご紹介する。

 写真は奄美市住用町に漂着自生しているモダマのツルである。見事な曲線美を描いている。この写真を文章の間に挟んでご紹介します。
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 自然の中で写真を撮っている時が一番楽しい。
 
 
 奄美市民の民度を引き上げようと孤軍奮闘しているあちきであるが、報われない労苦に対して返ってくるのは無知な市民の誹謗中傷だけである。

 余りにも民度低過ぎの政治屋や商工会議所経営者の面々は自分の築いている地位や富があたかもあの世へ持って行けるかの如く生きている。

 そんな輩たちに限って政治評論だけは一人前に活発に議論する。だが新聞やテレビのゴミ情報だけで議論するものだから全く的を射ていない。

 人間はだらだらと長生きすればいいというものでもない。老人破産という言葉が囁かれているこれからの長寿社会は悲惨であり、長生きは決しておめでたいものではない。

 若き美貌も老醜となって崩れ、形在るものは必ず衰え消滅していく。

 あの世に持っていても崩れないものとは何であろうか?
お釈迦さんが出家し求道した理(ことわり)もそこにある。

 過去、現在、未来、三世の生死に永遠に続くものとは何であるのか?
世俗を離れて大自然の中に身を置いて自分の生き様を振り返る事も大切である。

 落ち込む時は落ち込めば良い。
悲しい時は泣いて涙を落とせば良い。
 
 精一杯、ありのままの自分で生きれば良いだけの話だ。

 
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★竹原信一(前)阿久根市長の達観&仏教寓話・4人の夫人の物語!
 奄美徒然草     2011/3/4(金) 午前 10:13
 
 
竹原信一(前)阿久根市長の達観!&4人の妻の物語!
 
 
竹原信一前阿久根市長・「住民至上主義」
■2011/03/02 (水) (冷酷身勝手な国の奴隷 )から全文抜粋。
 
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/
メールの紹介
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コメント:拝啓、
 私は、正義の為にいつも命がけで奮闘しておられる竹原さんを応援する者です。それなのに、私は長い間失業しており、収入が一切ないため、ホームレスになるギリギリの人生が続いておりまして、竹原さんに具体的物質的支援などをしたくともできません。本当に申し訳ありません。どうかお赦しください。
 
 私みたいに人生のどん底を経験すると、この国がどれほどの「ペテン・いかさまの国」であり「冷酷身勝手な社会」であるかを痛感します。
 
 竹原さんも見事に仰せの通り、この国は「民主主義国などではなく」、「国家ではなく」、「独立国」などでもありません。まともな文化文明国・人間社会などとは到底言えません。
 
 私自身も昔から、この日本というのは実にいかがわしい烏合の衆の集団であり、とてもまともな「国などとは呼べない、と思い続けてきました。私の人生も結局は役人にダメにされたようなものですし、私の父も事実上役所の傲慢でみすみす死なされました。
 
これらの経験もあって、私はこの「日本」という烏合の衆集団を信用していません。私は「日本」を信用していないため、極力この日本に関らないようにしていることと現下の経済状況もあり、私には国民健康保険も年金も一切ありません。
 
 兎に角、こんな胡散臭いイカサマぺてん日本とはあまり関りあいたくない、距離保ちたいと思いながら何とかその日を生きています。
 
 (自身の祖国であり、本当は人一倍愛国心ある自分だったのに、こんな思いを抱かねばならないとは、実に悲しくつらいものです)。
保険も年金もない私なので、病気になった時や老後は悲惨だろうと予想しています
 
餓死、孤立死、孤独死、(住居がないので)ホームレス野垂れ死にする公算が大です。それであっても、こんな不正悪徳が永劫まかり通り続ける「日本」の奴隷に堕して生き続けることはしたくないです。
 
 以上、竹原さんへの具体的応援にならなかったかもしれませんが、どうかいつもお体や安全に留意なさりいつまでもご活躍なさるよう、ご声援申し上げます。
敬具
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人は生まれて、暮らして、どうせ死ぬ。
自分は道端での野垂れ死にで構わないと思っている。
どうせ生ゴミにもならない骸を残す定め。
なんで自分の明日や死に方などを思い煩う必要があるだろうか。
「今」をやり続ければ必ず「その時」になってしまう。
 
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 ●上記五行の竹原信一氏の達観は見事であると思っている。以前から感じていたことではあるが、竹原氏が抱いている人生哲学には私欲に囚われない「潔さ」を私は感じている。
 
 竹原氏と比べ、現今の大勢の政治家は菅首相を始めとして、私利私欲丸出しの連中が多い。権力や地位、お金、名声を追い求める政治屋だけが日本全国に蔓延っている。そのような政治屋は次のような特徴を持っている。
 
  俗に、一、欲欠き、二、恥欠き、三、義理と言われている。三欠きの恥を知らない人間たちが現内閣の一員閣僚として居座っている。
 
 
その中でも代表的なのが菅直人首相である。三欠きの代表的人物だ。
 
 お釈迦さんは、欲に執着する人間は死んだ後、地獄へ堕ちると説いている。そのような人間は餓鬼道を彷徨うことはあっても、成仏することはありえない。
 
 また人間はあの世へは、権力やお金、財産を持っていくことはできない。この世は無常であり、形あるものはあの世へは持っていくことはできない。
 
 善につけ、悪につけ、持っていけるものは、この世で為した身(肉体)・口(言葉)・意(心)の三業(だけである。
 
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 物質的な価値を追い求めるだけの人生がどれほど虚しいかを、お釈迦さんは寓話の形をとって諭していた。そのお話の一つに「四人の夫人の物語」がある。
 
               「四人」の夫人の物語」
 
  昔、インドに大金持ちの男がいた。男には四人の婦人がいました。しかし、四人の妻のうち、三人は可愛がり、一人は放ったらかしにしていました。
 
 
 男は年老いて、臨終の時を迎えました。そして、一番目の夫人を枕元に呼び、「ワシと一緒にあの世までついて来てくれないか。お前を一番大事にしてきたんじゃ。頼む」と言いました。
 
 すると、一番目の夫人は「いいえ、私は貴方様がお亡くなりになるまではずっと、ご一緒させていただきますが、そのあとはおいとまを頂きとうございます」と言いました。
 
 男は続いて二番目の夫人を呼んで同じ事を言いました。二番目の夫人は「貴方を火葬場までお送り申し上げて、お骨を拾ったらお別れですよ。」と言いました。
 
 男は三番目の夫人にも、少し興奮気味に聞いてみました。三番目の夫人は「貴方をお墓に埋葬するまでは、お付き合いしましょう。でもそのあとはお別れですよ。ごめんなさいね」と言いました。
 
男は大いに嘆き悲しみました。すると、ふだん無下に扱ってきた四番目の夫人が男の枕元にやってきて、「私が貴方様とあの世までお供いたしましょう。安心して下さい。これからもずっと一緒ですよ。」
 
          
 
    「雑阿含経」に説かれた、 四人の夫人の正体とは?
 
 私たちは、生きているうちに、いろいろなものを追い求め、そして手に入れています。お金、地位、名声、家族、友人、恋人などです。しかし、それらはあの世には持って行くことができません。
 
第一夫人とは、すべてのお金や家、財産であり物質的なもの全てです。臨終を迎えて意識が無くなれば、財産とはお別れです。
 
第二夫人とは、地位、名声です。勲章をもらっても、それを身に着ける肉体が無くなれば、地位、名声もはかないということです。
 
第三夫人とは、家族や友人、恋人などです。埋葬されれば、それでお別れです。
 
第四夫人とは、それは私たちがこの世で作ってきた「業」です。業はあの世までついてきます。業とは自分の善悪の行為すべてです。
 
 
 ●「達観」とは細かい事にこだわらず広い視野で物事の本質を見通すこと。、
  仏教でいうところの「悟り」と相通ずるところがあると思われます。
 
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  ●   「達観」していた古の偉人!
 
 ・おもしろきこともなき世におもしろくすみなすものは心なりけり(高杉晋作)
 
・世に生を得るは事を為すにあり。(坂本龍馬)
 
・世の中には生きながら心の死んでいる者がいる。その身は滅んでも魂の存する者もいる。
 
 生死を度外視して、なすべきをなす心構えが大切だ。(吉田松陰)
 
 
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     春先に咲くイルカンダの花かずら。 
 
 
 
 

 戦って破れたものは再び立ち上がることができるが、戦わずして負けたものは2度と立ち上がれない。(チャーチル)
 
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 ●比丘らよ、およそ何であれ、
  常住で恒久で永遠で変化することがなく、
  いつまでもそのままの姿であり続けるような、
  そんな所有物というものを、
  私はいまだかつて見たことがない      (仏陀)
 
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モダマのさやは7~10メートルの高さからぶらさがっている。花は5月頃咲き、長さ25㎝ぐらいの黄緑色の小花を密に咲かせる。
 
 モダマの種子には内部に空間があり、海水に浮かぶことができる。遠い場所から海流に乗って海岸線に海藻と混じって漂着し分布を広げているらしい。
 
 海岸に流れついたモダマの種子は海藻の産物だと考えられ、「藻玉」という名前が付けられたらしい。      
 
 また種子を磨くと黒光して美しいのでアクセサリーとしても販売されている。             
 
 
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 写真を見てお判りのように、モダマのつるは巨大ハブがとぐろを巻いているような特異な形をしている。
 
 1本のつるは長さ100メートルぐらいになっているのではないかと推測する人もいる。
 
 その巨大な姿形がイングランドの民話集にある「ジャックと豆の木」のモデルになったらしいのである。
 
 
 
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   (イングランド民話集・ジャックと豆の木)から
 
 
 イングランドのアルフレッド大王時代のある日、ジャックは母親に言われて牝牛を市場へと売りに行く。
 
 しかし、途中で会った男の豆と牛を交換してしまう。家に帰ると怒った母親により豆を庭に捨てられるが、次の朝にその豆は巨木へと成長していた。
 
 ジャックは豆の木を登り雲の上にある巨人の城にたどりつく。ジャックを見た巨人の妻は夫はogre(オーガ)なので早く逃げるように言うが、ちょうど巨人が帰ってきてしまう。巨人の妻はジャックを隠すが、巨人はEnglish man(イングランド人)の匂いがすると言う。
 
 
 巨人が寝た後、ジャックは金の卵を産む鶏を奪って家に戻る。その後、ジャックはまた豆の木を登り金と銀の入った袋を奪う。
 
 しかし、ハープを持っていこうとした時にハープが喋り出し巨人は起きてしまう。急いで地上に戻ったジャックは豆の木を斧で切り、追って来ていた巨人は落ちて死んでしまう。裕福になったジャックと母親は幸せに暮らす。
 
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