★奄美の美しい自然を破壊し続ける鹿児島県大島支庁河川港湾課。
口では美しい言葉で奄美の世界遺産登録を叫び、やっている行動は海岸線や河川にテトラポットという粗大ゴミで埋め尽くす鹿児島県の職員達。
それを見ていながら、知らぬふりを決め込む奄美の県会議員たち。
そんな県会議員に文句の一つも言えない民度の低い奄美郡民たち。
そんな県会議員に文句の一つも言えない民度の低い奄美郡民たち。
地方創世だと! 笑わせるんじゃありませんか?
今まで奄美の宝である美しい自然をさんざん破壊しておきながら、言葉だけは美辞麗句。
言葉遊びはもういい加減お止めなさいよ。しらけるじゃござんせんか。
山を破壊し住用町の海を採石の土砂で汚してきた宇検の採石業者は地元に帰れ。
このような採石業者に今まで採石の許可を与えてきた鹿児島県は地元住民に対し賠償し慰謝料を払え。住用町の山や海をこれ以上汚してはならない。
県議選が終わって年間1700万円を獲得したら県会議員はもう知らん振りですか?なにはさておいても、このような現場に足を運ぶのが県会議員の仕事でこざんしょ。
鹿児島県のろくでなし遺産、テトラポット
笠利町、用安のテトラポット
世界遺産登録と言うならば、鹿児島県は自然景観を損ねているテトラポットを早急に撤去し、美しい奄美を取り戻すための公共工事を実施するべきだ。
笠利町喜瀬のテトラポット。テトラポットの醜形を隠すためさらに無駄な予算を打ち込んで巨石を敷き詰めた。
無駄なテトラポットは塩害を集落にもたらす原因ともなっている。
天気の悪い風の強い日はテトラポットに波が強くあたり海水のしぶきが
集落の奥まで舞い散り、農作物や家屋に被害を与えるのだ。
テトラポットを沖へ搬出し大きな魚礁を造るべし!!
●サーファーのメッカ、龍郷町 加世間の美しい浜も鹿児島県によって破壊されようとしていた。その時、県会議員や町会議員は反対行動を何も起こしていなかった。 そこへ乗り込むどんどん和尚。
↓
★世界自然遺産推進を妨げる奄美の公共事業 ! (龍郷町 加世間)
どんどん和尚のブログ 2013年11月7日 (木)
http://blogs.yahoo.co.jp/jun777self/folder/471716.html?m=lc&p=1
奄美の浜辺は本来このようにとても美しいのだ。
コサギなのかなあー? 全部で12羽いるみたい。
記事終了、
下記におすすめブログを掲載する。
状況は日々悪化する一途
2015.04.13_18.00-21.00.Unit1side
https://www.youtube.com/watch?v=r9n_KhgSELQ
https://www.youtube.com/watch?v=r9n_KhgSELQ
福島原発の状態はよくありません。13日の日没からしばらくの映像ですが、蒸気(湯気)がどんどん増えていくのがわかります。
(cmk2wl氏のツイート)↑https://twitter.com/cmk2wl/status/587647692865605633
(cmk2wl氏のツイート)↑https://twitter.com/cmk2wl/status/587647692865605633
フクイチの地下から蒸気が噴出するのは、地下水を激しく沸騰させる発熱体があるからである。
上の動画を見ると、地下の発熱体が蒸気を噴出させるエネルギーは途轍もなく大きく、非常な高温であることが分かる。
このような巨大なエネルギーによる高温が、何故に持続するのか?
デブリが再臨界しているからである。
これ↑以外に高温・高圧の水蒸気噴出が継続する理由は、ない!
鷲は3月22日に、連続的な水蒸気爆発のためにフクイチは「手に負えない状態になった」と書いた。http://grnba.com/iiyama/#ss03221
1週間前には、『中性子線を発射する核物質が降る国』という文章を書いて…http://grnba.com/iiyama/#ss04071
、
短期間に数百万人が死ぬ事態まである!と、鷲の仲間たちに重大な警告を発した。
そうして昨日↓鷲は書いた。
いま、われわれに必要なのは、生き残り(サバイバル)の知恵と技術。これだけである。
鷲は過去4年間、生き残り(サバイバル)のための様々な知恵と技術について書きまくってきた。
乳酸菌、豆乳ヨーグルト、少食粗食、体を温めること、運動で血流を良くすること、入浴法、爆裂発酵床、空気清浄機、蜂蜜、あらびき茶、玄米のビックリ炊き、うつぶせ睡眠法、鼻呼吸の大切さ、政治運動の馬鹿らしさ、病院には絶対に行かないこと、高い商品は絶対に買わないこと! 避難・疎開は、自宅内の放射能ゼロ空間に逃げ込め! その他もろもろの知恵と技術を書きまくってきた。
上の事柄は、全部すべて正解である。
ひとつ、どうしようもないことがある。
それは「運」と「天命」である。
簡単に言うと…、
この夏は、巻風のために日本列島(とくに東日本)には大量の放射性物質の超微粒子(ホットパーティクル)が降る。
だから、ホットパーティクルを極力吸わないようにすること。
そのために、外出時は必ず「N95マスク」
をする。
そのために、外出時は必ず「N95マスク」
をする。
寝室は、24時間空気清浄機を回しておく。
室内の拭き掃除(水拭き)を頻繁に実行する。
この夏は(いや、明日から!) 上の三つを励行してください。
三つとは…、マスク、空気清浄機、水拭きの三つです。
大切なことなので、2回書きました。
大切なことなので、2回書きました。
上の三つを励行したら…、寝室で深呼吸をして、
「これで ひとまず 安心!」 と声を出して言って下さい。
「これで ひとまず 安心!」 と声を出して言って下さい。
言った瞬間から、「運」と「天命」が、あなたの味方になります!
もっと詳しいことは、明日以降に稿を改めて書きます。
ごきげんよう!>皆の衆
飯山 一郎
もっと詳しいことは、明日以降に稿を改めて書きます。
ごきげんよう!>皆の衆
飯山 一郎
<周恩来と池田大作>
友の書棚から「周恩来と日本」(白帝社)という本を見つけた。第8章の「旅日日記」について、を目を通してみた。
日本留学の若き青春時代の周恩来の姿を、本人日記から浮かび上がらせている。本の序文を創価学会名誉会長の池田大作が執筆している。
ということは、この本を読んだ学会婦人部はかなりいるだろう。池田は冒頭、1974年12月5日の夜、病床の周恩来との劇的な出会い場面を記述している。
「医師団の強固な反対を押し切って、一民間人を招いてくださった、あまりにも深き周総理の御温情を、私は、終生、決して忘れることはできません」と。
彼の心情はただごとではないが、婦人部の面々は彼の思いを共有しているはずだ、と信じたい。(敬称略)
<日中友好は永遠>
「周総理が日本に留学なされたことは、孫文先生、魯迅先生の日本での足跡とともに、世々代々にわたる両国の交流にとって、かけがいのない原点となる史実と、私は思ってきた一人であります」とも付け加えている。こう書くことで池田は、宗教家・教育家・思想家として「両国の友好交流」の重要性を指摘している。
それにしても、なぜ周恩来は池田を病床に招いたのか。日中国交回復に貢献した公明党、同党にその路線を提示した池田だからであろう。むろん、それだけではない。
常に横槍を入れる、自民党内の極右の存在に腐心させられてきた北京である。いつ何時、極右が自民党を主導するかもしれない。その可能性を知るだけに、これを封じる補完的勢力が必要だった。そこを池田に期待したものだ。そう思いたい。
「人民に奉仕する」バッジを身に付け通した周恩来は、民衆の味方を豪語してきたリベラルな宗教・教育家の池田に同志的印象を抱いたのではなかろうか。
<1918年の周恩来日記>
大志を抱く青年は、将来の指導者になるための修養を身につけていた。たとえば「表では公を装い、裏では私を装う利権争奪の人物は、社会にとって恐るべき存在」とか、アメリカ留学組みを「目立ちたがり屋で、他人を騙して金儲けする人」と喝破する。
江沢民時代から大量発生したとされる腐敗官僚を指しているようだ。また「何のための学問か」「何のための留学なのか」では、利のために動かない、権力に屈しないことが肝要だ、とも認識していた。「権力にこびない、劣悪な社会と戦う人物が立志の士」とも。
現在の日本人ジャーナリスト向けにぴったりの言葉であろう。
「天下人は必ず修養し、虚心になって、行動するときは、利害を考えず、命がけで行う」「通常人間は衣食足りてよしとするが、大志を有するものは、わが国を思い、社会に力を尽くすことである」とも日記に書き記していた。
<泉下で泣いている周総理>
彼は日本留学中に富国強兵の日本軍国主義を捨てた。吉野作造の民本主義や河上肇のマルクス経済学の影響を受けたようだ。そういえば、宇都宮徳馬や水田三喜男らは、河上を慕って京都帝大に入っている。
そこで、創価学会婦人部に訴えたい。池田と周恩来の交流の意味する点は深い。仏教伝来とも関係している。憲法の命じる平和主義とも。断じて極右政権に与して、軍国主義の日本にすることではない。
この2年の間に日中関係は最悪である。泉下で周恩来は泣いている。おわかりか。
<池田路線を貫け>
平和憲法を破壊する国粋主義を支援する公明党・創価学会を、平和主義者で日中友好派の池田は、全くもって想定していない。
彼の健康回復を祈っているであろう婦人部は、名誉会長の心情がどういうものであるか、説明するまでもなくわかっているだろう。改憲軍拡の
日本にするための連立政権でいいわけがない。
池田路線の放棄は、自らの首を絞めることである。大義のない改憲軍拡を、周恩来の中国は断じて容認しないだろう。池田路線の踏襲にこそ、アジアの平和と安定が約束される。懸命で、平和を愛する婦人部に期待するところ大である。
2015年4月13日記(武漢大学客員教授・政治評論家)
★創価学会は強い?<本澤二郎の「日本の風景」(1957)
「ジャーナリスト同盟」通信
「ジャーナリスト同盟」通信
<選挙・政治不信を背景に>
統一地方選の前半線結果が、4月12日深夜、判明した。結果は、自公与党が制した。分かりきっていたことだが、創価学会の戦果である。
統一地方選の前半線結果が、4月12日深夜、判明した。結果は、自公与党が制した。分かりきっていたことだが、創価学会の戦果である。
創価学会は強いのである。選挙通なら誰でもわかる。理由は、国民・有権者の異常な政治不信による投票ボイコットにもよる。多数国民が決起する事態が起きないと、この流れに変化は起きない。
<10道県知事選は最低投票率>
深刻な政治不信からくる投票放棄は、相変わらずである。与党に対抗する野党の1本化が実現しないと、有権者はそっぽを向くだけである。野党に人材なしを印象付けている。
10道県知事選の投票率は最低を記録した。50%を割る47・14%だった。41道府県議会選挙は45・05%に過ぎなかった。東京都のお隣の神奈川県知事選の投票率は40・71%、10人のうち6人が棄権している。形骸化している民主選挙なのだ。福岡県知事選は40%にも届かなかった。
絶対得票率でみると、有権者の2割で当選した知事(奈良県)もいた。胸を晴れる選挙はどこにもなかった。これも、日本の極右化を促進させる危険な政治状況でもある。
<アンベイ極右政権の強い味方>
政治無関心層の大幅増加のもとで、小さな塊である創価学会の、強烈な信仰と投票活動の一体化が、アンベイ内閣を勝ち誇らせる原動力となっている。
創価学会が、極右・国粋主義者のアンベイの政治権力を強化させている。このことを誰一人指摘しない。まともな政治評論さえ消えてしまった日本である。
閣内が腐敗まみれ、憲法違反の戦争法をつくろうが、国民は分からない。新聞テレビがずっこけて、ジャーナリズムを放棄してしまっているからである。愚民は、ずるずると後ろからついて来てくれる。ヒトラーの気分に浸って暴走できるアンベイの、これが決めての原動力なのだ。
<来夏の参院選で3分の2確保>
創価学会の威力は、既に2回の総選挙で証明できている。衆院は3分の2の改憲勢力を手にしている。来夏には残る参院選で圧勝すればいい。農協・医師会など、自民党の支持基盤が崩壊する中での戦果である。
権力を背にした教団の集票力は倍増する。
現在の民主党には、これを止める力などない。改憲軍拡の火が上がっていても、なすすべのない同党を有権者は評価しない。強力な国粋主義政権に対抗する、弱すぎる分裂野党の日本である。
列島内部からの変革、平和運動は無力すぎる。ここは国際的世論に頼るしか方法はない。それが9条にノーベル平和賞を受賞させる運動なのだ。ここ数ヶ月の闘いである。ホンモノの平和運動なのだ。
心ある内外の市民は立ち上がる責任があろう。繰り返し訴える理由である。
<改憲軍拡へ拍車>
2つの総選挙結果を足場にして、アンベイの改憲軍拡政策は、すさまじい速度で具体化している。これに沖縄がひとり奮戦している。「ヤンキーゴーホーム」の合唱が、列島に響き渡る場面である。
学生が立ち上がり、労働者や市民が決起しなければならない、そんな局面でもある。カストロを見習え、リー・クワンユーを学べ。大国の属国として生き延びようとする極右に、市民生活を任せると、どういうことになるか。
日本国憲法に大義があることを忘れてはならない。天皇・皇太子など、皇族も立ち上がっている今の東京ではないか。今ほど皇室が国民の身近な存在になったことは、戦前戦後を通じてない。
悪政に翻弄される皇室ではないのだろう。
<平和放棄・戦争日本へ舵を切った怖い創価学会>
政治は結果で採点する。アンベイの悪政は創価学会の戦果ということになる。これにいかなる弁護・釈明も通用しない。
公明新聞や聖教新聞が、いかに報道しようがしまいが、アンベイの極右政治は、信濃町の実績となる。
「思考停止の信者に責任はない」といって免責されるものではない。「問題があれば、新聞テレビが批判する。それが全くないのだから、世論は支持してくれている」と開き直ったとしても、アンベイの反憲法政策の責任から逃れることは出来ない。
結果的に信濃町は、平和路線を放棄して、アンベイの戦争する日本に舵を切ってしまった、という事実を否定することは出来ない。
心ある日本人だけではない。外国の友人らも強い衝撃を受けている。内外の友人を裏切っていることになる。中国の日本勤務の外交官やマスコミ関係者、日本研究者のそれは大きい。
2015年4月13日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
転載終了、
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●吉田松陰の国学・復古神道かぶれが、日本の心を消滅させた
世相を斬る あいば達也
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c52c1b66c052f388d7279db183e42b19?fm=rss
吉田松陰の国学・復古神道かぶれが、日本の心を消滅させた
松下村塾の流行り病にはウンザリだが、長州の田舎侍らの欧米かぶれが、日本文化の破壊者であった歴史上の事実が、以下の魚住氏のコラムは暗示している。勝海舟、江戸っ子の心意気こそが、当時の日本の正論であったに違いない。
歴史は、この「国学・復古神道」に誑かされた田舎侍の群れに跳梁跋扈されたと言っても過言ではないだろう。もしかすると、鳩山由紀夫の「東アジア共同体構想」も原点は、此処にあった可能性もある。西郷は、欧米人に対して「あんな野蛮な連中」と云う言葉を、何度となく語っているが、まさに、そういう事なのである。
当時の歴史の謎は、完全に解けてはいないのだが、勝の「日本・朝鮮・清国の三国同盟を結び、欧米列強の圧力に対抗すること」は、現代の東アジア共同体と趣旨を同じくしている。
これに田舎侍の癖に、男気がなく、ヘタレな西洋かぶれが、欧米列強国に、恐れをなして、ただ唯々諾々と屈したに過ぎない。
明治維新こそが、日本の歴史の歯車が狂ったターニングポイントであって、明治維新時代の産業が、世界遺産になるなど、噴飯ものなのである。
ネトウヨも、安倍晋三も、勝海舟、西郷隆盛の日本人的血脈を思い偲んでから、己の意見を語るが宜しかろう(笑)。
産経の記者だった司馬遼太郎の本が売れだしたこと、明治以降の日本軍賛美がヒットしたこと、この辺には、メディアコントロールの技が駆使されたのに違いない。司馬と立花隆は同じ臭いがする。
明治維新以降、悲哀を味わった政治家や言論人、学者などの書物や研究などを紐解き、白日に晒し、「ここが変だよ、明治維新」と云う発想で、歴史を見直す必要があるのだと思う。筆者も、魚住氏のコラムに触発され、あらためて、国学的過ぎて、オカルトっぽかった吉田松陰を怪しい奴として観察し直す必要が出てきたようである。
伊藤博文、木戸孝允など、糞の糞かもしれない(笑)。筆者は、感覚的に、明治維新の立役者、こいつ等は怪しいと云う思い込み論で強弁していたが、幾分筋道が見えて来た(笑)。
このような視線で、現在の長州藩の末裔ツラしている安倍などは、日本の道を最も誤らせた長州の人間である。此の地から「国学・復古神道」の原点があり、安倍政権は、その道に向かってひた走っているのだ。
首相が一番多く輩出しているのだから、日本がドンドン悪くなるのは、当然の帰結と言えるのだろう。今や「国学・復古神道」の総本山が靖国神社になっているのも“むべなるかな”である。
明治天皇はじめ大正、昭和、今上天皇と「反目」する勢力が、明治維新を成就させた英雄たちであると云う事実は、現在の安倍ら勢力の政治的方向性を観察していると、そっくりなのだ。
意味なく強がり、アメリカに傅く、変だろう?我々、日本人は、勝や西郷に関して、もっと学び、解析すべきテーマのようである。
≪ 西郷隆盛と勝海舟のナゾ
歴史家の松浦玲著『明治の海舟とアジア』(岩波書店刊)によると、勝はこのころ明治天皇の側近だった吉井らと連携し、西郷復権に向けて精力的に動いている。
その第一歩が西郷の遺児・寅太郎を明治天皇に会わせることだった。勝の働きかけをきっかけに明治17(1884)年4月、寅太郎の宮中参内が許された。寅太郎は天皇から<ドイツ留学、留学中一ヵ年金千二百円下賜>の達しを受け、翌年、ドイツへ旅立つ。
勝は寅太郎の宮中参内を機に西郷の赦免も得ようとしたが、これは伊藤博文宮内卿に阻まれた。再びチャンスが巡ってきたのは、5年後の明治22(1889)年2月、憲法発布の時だった。
発布1ヵ月前、勝は西郷の赦免を天皇に提案する手紙を書く。勝の希望は叶えられ、天皇の特旨で西郷の賊名が解かれ、正三位が追贈された。西郷復権で世間は安心し、改めて彼をたたえ始めた。
その直後から勝は西郷=征韓論者説を打ち消す文章を書き<西郷が征韓論と云ふは嘘><朝鮮を征伐して、西郷の志を継ぐなどゝ云ふことが、何処にあるェ>などという発言を繰り返すようになる。
松浦は<西郷隆盛崇拝者の中には西郷が征韓論者だと信じて(中略)西郷の遺志を継ぐなどと称している手合いが多数いる。それでは西郷隆盛復権が朝鮮侵略、アジア侵略につながってしまう。海舟の真意に反するのである>と言う。
では、勝の真意とは何か。松浦によると、日本・朝鮮・清国の三国同盟を結び、欧米列強の圧力に対抗することだった。幕末に神戸海軍操練所を開設した時から、この構想は生涯変わらなかった。
彼は清国・朝鮮の政治家と交流し、両国との友好関係の大事さを説きつづけた。明治27(1894)年の日清戦争に対しても<兄弟喧嘩だもの犬も喰わないヂャないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。
(中略)支那の実力が分ったら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る>と異を唱えた。
10年後の日露戦争では非戦論を主張する内村鑑三ですら、この時は賛成に回った。勝は日清戦争に反対したほとんど唯一の要人だった。彼の胸には、清国や朝鮮は同じ文化の<兄弟>だという思いと、三国同盟の戦略があった。
一方、明治政府の主導権を握る旧尊王攘夷派の志士たちは対等な同盟論を受け付けない。なぜなら彼らの頭には、日本は特別な神の国だという国学・復古神道の教義が染みついているからだ。
幕末長州の尊王攘夷運動の指導者だった吉田松陰はロシアの外圧にさらされたとき「取り易き朝鮮・満洲・支那を切り随へ、交易にて魯国に失ふ所は又土地にて鮮満に償ふべし」、貿易でロシアに取られた分は朝鮮・満州を占領して取り返せと主張した。
極端な言い方をすれば、近代日本とアジアの不幸な関係は、吉田の神がかりの侵略思想が木戸孝允ら明治政府の主流派に受け継がれたことに端を発している。朝鮮が無礼だから征伐せよという明治6(1873)年の征韓論の高まりは、その最初の表れだった。
征韓論と三国同盟論。幕末~明治初期の日本には相反する二つの潮流があった。勝の系譜の先輩格だった横井小楠(肥後藩)は明治2(1869)年に暗殺され、勝や横井と親しかった坂本龍馬も慶応3(1867)年に暗殺された。
問題は、維新最大の功労者と言われた西郷隆盛である。彼は征韓論と三国同盟論のどちらを唱えたのか。そこに、近代史の謎を解くカギが潜んでいる。
*参考:『西郷隆盛』(井上清著・中公新書)、『新訂 海舟座談』(厳本善治編・岩波文庫)、『氷川清話』(勝海舟著・講談社学術文庫) ≫(現代ビジネス・メディアと教養:魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第124回-『週刊現代』2015年4月11日号より)
転載終了、
転載終了、
2015年4月13日 06:13 沖縄タイムス
【平安名純代・米国特約記者】生活の党の小沢一郎代表は3日、アジア太平洋地域の政治・安保問題専門の米オンライン誌「ザ・ディプロマット」に論文を寄稿した。名護市辺野古の新基地建設計画を強行する安倍晋三政権を批判。
在沖米海兵隊のグアム移転計画は、沖縄の負担軽減ではなく、米軍事戦略の変化を反映した結果だとし、新基地の必要性を否定。日米両政府に計画の再考を促した。
小沢氏は、辺野古沖で反対活動を展開する住民らに海上保安庁が過剰対応を繰り返し、緊張が高まる沖縄の現状に警鐘を鳴らした。
在沖海兵隊のグアム移転計画について、「米国はアジアだけではなく欧州の前線からも部隊を撤退させている。これは米国が恒久駐留から即応部隊の配備により緊急事態に対応する戦略へ転じたことを示したものであり、在沖海兵隊のグアムや他地域への移転はこうした米軍事戦略の一環であり、日本や沖縄を考慮したものではない」と指摘。
こうした変化に逆行する新基地建設は不必要と論じた。
また、安倍政権が辺野古移設計画を堅持するならば、まず沖縄と対話すべきだとし、意見の相違を理由に翁長知事との会談を拒否する安倍首相は「非常に幼稚」と批判。
在沖米軍のプレゼンスを最低限に縮小する必要があると主張したうえで、実現には日本が自主防衛の方法などを検討する必要があるとし、こうした議論を避けたい安倍政権は米政府の要求に従ってばかりいると強調。
日本全体が沖縄の負担を共有する断固たる決意を示せば米国は新基地計画を見直す議論に応じるとの考えを述べ、「辺野古移設をめぐる問題は日米関係に悪影響をもたらすとの日本政府の主張は間違いだ」と断じた。